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広島高等裁判所岡山支部 昭和52年(う)70号 判決 1977年3月03日

本店所在地

岡山市内山下二丁目一〇番一五号

法人の名称

黒田興業株式会社

代表者の住所氏名

岡山市半田町四番五一の四号

黒田孝行

本籍

岡山市富田二七七番地

住居

同市半田町四番五一の四号

会社役員

黒田孝行

大正一四年一〇月一三日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、昭和五一年四月一三日岡山地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人板野尚志からそれぞれ適法な控訴の申立があつたので、当裁判所は検察官杉本欽也出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

本件各控訴を棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、弁護人板野尚志名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

論旨は、要するに、本件で被告人黒田孝行(以下単に被告人という)が法人税をほ脱したとされているものは、(一)、取引先の希望により取引除外によつて益金を秘匿したり、役員またはその家族個人のための支出を会社の経費として支弁処理したもの、(二)、法律上、会計上の知識の欠如または不注意により会計処理を誤り、結果的に益金秘匿もしくは損金計上になつているもの、(三)、申告時を基準とすれば公表金額は妥当であり、法人税ほ脱の意図は全く考えられないもの等、大略三つのグループに分類しうるところ、右(一)のグループに属するものはすべて有罪であるか、右(二)、(三)の各グループに属するものについては、刑事責任を問われるべきではない。そして、原判決が「弁護人の主張についての判断」中において判断を示した末長恒久に対する売上中六万円の除外、和気史郎に対する売上四二〇万円の除外、井上武よりの土地仕入代金五〇〇万円の計上、殖産住宅に対する建築費五七六万九、七五六円、工事費二八八万四、八七七円の計上の各点は、いずれも右(二)のグループに属し、惣田秀夫に対する売上四〇〇万円の除外、不動産の期末棚卸額の過少評価の各点は、いずれも右(三)のグループに属するものである。更に、法人税ほ脱の犯意は、いわゆる概括的故意では足りず、個々の勘定科目につきほ脱の認識を必要とするものと解すべきであるから、かかる犯意を欠くものについては、ほ脱額計算上これを控除すべきである。しかるに、原判決が右(二)、(三)の各グループに属するものについて、これをすべてほ脱額として計上し、被告人黒田興業株式会社(以下単に被告会社という)の昭和四四年度の所得金額及びこれに対する法人税額を原判示のとおり認定したのは事実を誤読し、その結果不当に重い量刑をしたものであつて、破棄を免れない、というのである。

よつて、記録を精査し当審の事実調の結果を参酌して次のとおり判断する。

第一、まず、法人税ほ脱犯の犯意としては、偽りその他不正の行為により法人税を免れることの認識を必要とするものであるが、右認識は当該事業年度における経済活動によつて生じた数多の収益及び損費をいちいち正確に把握していることは事実上ほとんど不可能であることに鑑みると、偽りその他不正の行為により真実の所得金額より少ない所得金額を申告していることの概括的な認識さえあれば、所得金額ないしはほ脱税額についての正確な数額の認識は必要ではなく、また、どの勘定科目に偽りその他不正の行偽が存在するかの認識まで必要としないと解するのが相当であつて、所論の見解には同調し難い。もつとも、法人税ほ脱犯が成立するためには、「偽りその他不正の行為」により法人税を免れることを必要とするのであるから、例えば、過失により会計処理を誤つたため所得の過少申告をした等不正の行為によるものとは認められない点が存在する場合は、その部分については(その部分が可分である限り)、少くとも法人税ほ脱犯は成立しないこと所論のとおりであると認められる。

第二、そこで、以下所論が本件について刑事責任を問われるべきではないとする各点について検討する。

一、末長恒久に対する売上中六万円の除外の点について。

所論は、末長恒久に対する売上一八三万円のうち六万円の除外は不注意による会計処理上の誤りである、というのである。

そこで、検討するに、押収の不動産売買契約書(原審昭和四七年押第四二号の三六)、同じく売上帳(同号の一三)、同じく総勘定元帳(同号の二)を総合すると、昭和四四年五月三〇日被告会社(売主)と末長恒久(買主)との間で岡山市万倍字泉田地一七九番地の七所在の宅地建物を代金一八三万円で売買する旨の契約が締結されているところ、被告会社の売上帳には同年八月二日の六万円を含め同年五月から同年九月までの間に五回にわたり支払われた右代金全額の売上が記帳されているのに、総勘定元帳には同年八月二日の六万円を除くその余の四回分の入金(合計一七七万円)のみが記帳されているに過ぎないのである。しかし、この点については、被告人の原審公判廷(第二〇回)における供述によると、被告会社の帳簿の記帳は、伝票の作成、仕入元帳、売上元帳等への転記は、同会社の経理担当事務員によつてなされていたが、これら補助簿に基く総勘定元帳への記帳は、大崎公認会計士事務所の吉田義夫が毎月被告会社へ赴いてこれを行なつていたことが認められるところ(八〇五丁表ないし八〇六丁表)、右吉田義夫の原審公判廷における証言、同人名義の各上申書等に徴しても税務会計知識はもとより経理事務にも相当皆熟していることの窺われる同人が補助簿に基き総勘定元帳へ記帳するに際して、過誤により前記六万円の売上を看過したものとは到底考えられないのであつて、右事実に右六万円以外にも売上除外その他の方法で被告人が当時再三法人税ほ脱の方策を講じていることをも合わせ考えると、末長恒久に対する一八三万円の売上中六万円を計上しなかつたのは、不注意による会計処理上の誤りではなく、被告人の意を体した右吉田がことさらこれを除外したものと認めるのが相当であり、法人税ほ脱の犯意をもつてなされたものと認めるに十分である。この点の所論は、理由がない。

二、和気史郎に対する売上四二〇万円の除外の点について。

所論は、右売上の除外は、不注意ないし無知に起因する会計処理上の誤りに過ぎない、というのである。

しかしながら、原審公判調書中証人和気史郎、同加藤輝久(各第四回)同後藤三雄(第五回)、同林邦男(第六回)の各供述部分、林邦男の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する昭和四六年九月二九日付供述調書、押収の不動産売買契約書(原審昭和四七年押第四二号の三八)等を総合すると、岡山市原尾島字山下四八三番地所在の宅地一〇〇坪は加藤輝久の所有するところであつたが、同人が自宅の建築代金の一部に充当するため右建築を請負つていた林邦男に右宅地の売却方を依頼したところより、昭和四四年一二月頃右林の仲介により被告会社が右加藤からこれを二〇〇万円で買取り、更に同月二〇日頃被告会社は後藤三雄の仲介によりこれを和気史郎に四二〇万円で売却し、右代金はその頃被告会社に支払われたこと、しかるに、被告人は右利益を秘匿するため右宅地の仕入れ、売上ともに被告会社の帳簿に記帳せず、本件確定申告に際してこれを除外したこと等を認めるに十分であつて、右宅地の売買を被告会社の売上として記帳しなかつたことが不注意ないし無知に起因する会計処理上の誤りであるとは到底認められない。所論にそう被告人の収税官吏に対する質問類末書の記載部分及び原審公判廷における供述部分はいずれも前記各証拠に照らしてそのままには措信し難く、この点の所論も理由がない。

三、惣田秀夫に対する売上四〇〇万円の除外の点について。

所論は、惣田秀夫が被告会社から岡山県赤磐郡山陽町高屋字内三又四三一番地の二等所在の各不動産(以下本件各不動産という)を買受けたのは昭和四五年三月三日ではなく、同年四月三日であるから、昭和四四年度の申告にこれを売上として計上すべきではない。このことは、被告会社が栗政武男から本件各不動産の売渡しを受けたのが登記簿上同年三月一六日になつている点からみても明らかである、というのである。

しかしながら、原審公判調書中の証人惣田秀夫(第四回)、同大石美弥(第五回)、の各供述部分に押収の不動産売買契約書二通(前同号の三九及び四一)を総合すると、被告会社と惣田秀夫との間に本件各不動産につき売買契約が成立したのは昭和四五年三月三日であると認めざるをえない。すなわち、買主惣田秀夫は「右契約は契約書の作成年月日どおり昭和四五年三月三日に締結していると思う。不動産売買契約書(前同号の四一)の日付が四月三日に訂正されているが私の字ではない。契約書を貫つたのも三月だと思う。」旨証言していること、当時被告会社の従業員であつた大石美弥は「右契約書(前同号の四一)に所要事項を起入したのは私であるが、私が記入した日付は三月三日で、これを四月三日と訂正した覚えはない。私は昭和四五年三月末会社をやめ、以後会社の手伝いをしたことはない。」旨証言していること、被告会社から押収されたと認められる不動産売買契約書(前同号の四一、なお、本件記録冒頭の原審領置目録によると、右契約書は惣田秀夫から、また同号の三九の契約書は被告会社からそれぞれ押収されたように記載されているのであるが、後記のとおり後者は惣田秀夫から押収されたことが明らかであることに照らし、右領置目録の被押収者の各記載は相互に取違えて誤記されたものと認められる。)によると、作成日付欄に元「昭和四拾五年参月参日」とあつたのを、参月の「参」を斜線で消除してその右横に「四」と書き加えて訂正してあるものの、他の訂正箇所には惣田秀夫の訂正印が押捺されているのに、右日付の訂正箇所には何ら訂正印が押捺されていないこと、被告人の収税官吏に対する昭和四六年三月一一日付質問顛末書(七五一丁表、裏)、収税官吏作成の昭和四五年一二月九日付差押てん末書(九〇丁表ないし九一丁表)によると、押収の不動産売買契約書(前同号の三九)は惣田秀夫から押収されたものと認められるところ、右契約書の作成日付は「昭和四拾五年参月参日」と記載されており、何ら訂正された形跡は認められないこと等、以上の諸点を総合すると、右契約は右惣田秀夫から押収された不動産売買契約書(前同号の三九)の作成日付の日に締結されたものであり、右被告会社から押収された不動産売買契約書(前同号の四一)の作成日付は後日被告人もしくは被告人の指示を受けた者が勝手に訂正したものであることが明らかである。そして、右事実に押収の売上帳(昭和四二年三月ないし昭和四五年一二月分、前同号の一四)によると、被告会社と惣田秀夫間の右取引は昭和四五年四月三日の売上として記帳されていることを合わせ考えると、惣田秀夫に対する本件各不動産の売上は昭和四四年度決算期に計上すべきであるのに、被告人は右のとおり契約書の作成日付を勝手に訂正し、かつ、右売上を昭和四五年度分の売上として記帳する等の方法によりことさら昭和四四年度分の法人税をほ脱しようとしたものであると認めるに十分である。なるほど、登記簿上本件各不動産は昭和四五年三月一六日売買を原因として栗政武男から被告会社が所有権を取得した旨の記載がなされており(八五五丁表ないし八六〇丁表)、また押収の不動産売買契約書(前同号の三七)によると、本件各不動産につき売主を児子廉夫、買主を被告会社、売買代金を二二一万円とする同月一七日付の売買契約書が作成されていることが認められるのであるが、一般に未だ他人の所有に属する物であつても、近い将来これを自己に取得すべき十分の見込みがある場合には、これを見込んで予め他人の所有物を売買の目的とすることは取引の実際に照らし十分考えられるところである。これを本件についてみてみるに、児子廉夫作成の答申書、登記簿謄本二通(但し八五五丁ないし八六一丁に編綴のもの)に当審で取調べた栗政千代子作成の答申書を総合すると、本件各不動産は児子廉夫が栗政英一から返済を受けるべき三五〇万円のうち昭和四四年一〇月一七日までに返済を受けた一四〇万円の残金及び利子合計二二一万円の支払いを担保するため栗政武男から児子廉夫に提供されていたものであるところ、右債務は被告会社が責任をもつて栗政英一から返済させることになつていた関係上、児子廉夫において被告人に対し「被告会社が右二二一万円を栗政英一に代つて支払い、その代り本件各不動産を被告会社が取得するよう」申し入れ、その結果右申し入れどおりの取引が関係者間において実現したことが明らかであつて、被告会社が本件各不動産を取得するに至つた右のような経緯に照らすと、被告会社としては惣田秀夫に対し本件各不動産を売渡した当時、既にこれが近い将来確実に同会社に帰することを見込んでいたと認められるのである。従つて、被告会社が本件各不動産の所有権を取得した日時が惣田秀夫との取引後になつていたとしても何ら不自然というべきではなく、この点の所論も理由がない。

四、井上武よりの土地仕入代金五〇〇万金の計上の点について。

所論は、井上武よりの土地仕入代金五〇〇万円の計上は容易に発見できる事務処理上のミスであつて、法人税ほ脱の目的で計上したものではない、というのである。

なるほど、被告人の収税官吏に対する昭和四五年一二月九日付質問顛末書(七二四丁表、裏)及び登記簿謄本二通(八八七丁表ないし八九七丁裏に編綴のもの)によると、岡山市富田町一丁目所在の宅地約八二坪は被告人個人が井上武ほか二名から黒田ビル(被告人個人所有)建設用地として代金三、二九五万円で購入したものであり、昭和四四年七月二九日井上武らに支払つた五〇〇万円は右代金の一部として支払われたものであることが明らかである。従つて、これを被告会社が仕入れた土地代金の支払いとして記帳することは通常は考えられないところである。しかしながら、原審第五回公判調書中証人大石美弥の供述部分に押収の伝票綴(昭和四四年七月分、前同号の六)中同月二九日付右該当出金伝票、同じく総確定元帳(昭和四四年四月ないし同四五年三月分、前同号の二)を総合すると、右出金伝票は被告会社従業員大石美弥が被告人の指示に基いて記帳したものであり、現に右伝票には被告人の承認印が押捺されていること、しかも右伝票の摘要欄には「市内富田町七二番外二筆土地仕入手付金として」と明記されていること、右伝票に基き総勘定元帳にも右井上武よりの仕入として右五〇〇万円の支出が転記されていること等が認められるのみならず、更に押収の不動産売買契約書(前同号の三二)によると、右井上武よりの宅地の仕入に際して作成された売買契約書にも買主として被告会社が表示され、被告人がその代表取締役として記名捺印していることが認められるのであつて、これらの点に照らすと、単なる事務処理上のミスによつて右五〇〇万円の土地仕入代金を被告会社の帳簿に記帳したものとは到底考えられず、被告人において法人税ほ脱の犯意をもつて架空仕入の措置をとつたものと認めるに十分である。との点の所論も理由がない。

五、不動産期末棚卸額の過少評価の点について。

所論は、被告人は棚卸資産の明細については全く不案内で、棚卸の作業は大崎公認会計士事務所の吉田義夫に担当させていたところ、同人は棚卸にあたつて現品チエツクをせず、単に仕入帳、売上帳、図面を資料としてこれを行ない、特に土地については仕入の際実測していなかつたり、実測不能の土地もあつたりしたため公簿上の面積によつた結果、公表金額と調査額との間に著しい差が出たものであつて、被告人は商品土地を棚卸資産より意図して除外したものではない、というのである。

なるほど、被告人が棚卸資産の内容をいちいち正確に把握していたものではないことは認めるに難くないのである。しかしながら、被告人の検察官に対する昭和四六年九月二八日付、同年一〇月四日付各供述調書によると、被告人は、「昭和四五年三月三一日決算期の法人税確定申告書及び附属書類は大崎会計士事務所に頼んで作成してもらつたが、申告に際し私が目を通し一応内容は知つている。この申告は売上の圧縮、経費の水準、棚卸のいわゆる出歩を棚卸に計上しないなどの不正の方法で所得を少くし、ほ脱した申告になつている。山などを買つた場合、公簿面積と実測面積との間に差があつて、実測面積の方が広い場合はその出歩分だけ儲けになる。正しい棚卸の仕方としては、実測をして棚卸計上をすべきであるが、私方では毎期公簿面で棚卸をしているので、いつも棚卸がもれていたことになる。棚卸の評価については会計事務所に任せているので、金額的に幾ら計上しなければならないということまでは分りませんが、計上もれになつていることだけは分つていた。宅地棚卸をすれば公簿より多いのは分つていたのですが、宅地棚卸をする計算がめんどうですし、公簿でやつていたので一部除外になつている」旨供述して(七七三丁裏ないし七七五丁表、七九六丁表、裏)、法人税ほ脱の犯意があつたことを認めているほか、原審第六回公判調書中証人吉田義夫の供述部分(二八四丁表ないし二八六丁裏)及び同証人の原審公判廷(第一九回)における供述(七一〇丁表七一二丁表ないし七一三丁表)等を総合すると、被告人に法人税ほ脱の犯意があつたと認めるに十分である。この点の所論も理由がない。

六、殖産住宅に対する建築費及び工事費の計上の点について。

所論は、殖産住宅に対する建築費五七六万九、七五六円及び工事費二八八万四、八七七円を計上したのは、昭和四一年三月頃、実質的には被告人個人が殖産住宅から右合計八六五万四、六三三円の融資を受け、かつ、これを返済したものであるが、右金員は名目は工事費ということで殖産住宅からその下請人難波建設株式会社を経て更にその再下請人たる被告会社に支払われた。そこで、当時被告会社としてはこれを被告人個人からの借入金として会計処理をしておけばよかつたのであるが、右処理を怠つて簿外処理をしていたところ、今回被告人は被告会社から右金員を返済してもらう必要が生じた。しかし、右のような次第で今更返済としての会計処理は不能と考えたため、本件のような建築費、工事費を計上して右金員を被告会社から返済してもらつたもので、法人税ほ脱の意図で架空計上したものではない、というのである。

そこで、まず、真実昭和四一年中に被告会社に被告人個人からの借人による所論のような簿外負債が発生したのかどうかについて考えてみるに、なるほど、被告人の収税官吏に対する昭和四五年一二月九日付質問顛末書(七二六丁表)及び検察官に対する昭和四六年九月二八日付供述調書(七七八丁裏)、原審第八回公判調書中証人吉田義夫の供述部分(三五五丁以下)によると、被告人及び吉田義夫らはいずれも所論にそう供述をしており、また、押収の伝票綴(昭和四四年七月分、前同号の六)中同月一日付本件該当振替伝票によると、その摘要欄に昭和四一年三月から同年六月までの間に前後一〇回にわたり合計八六五万四、六三三円の被告人個人の借入金があつた旨の記載がなされているのであるが、これらの供述及び記載内容を裏付けるに足る確たる証拠は本件記録及び押収物中には何ら存しないのみならず、かりに被告人個人から右のような借入がなされ、これがすべて被告会社の経費に流用されたとした場合、その流用金額のきわめて多額であること、また、奥山民子の収税官吏に対する昭和四五年一二月九日付質問顛末書によると、被告人個人と被告会社との間の貸借については、そのつどいちいち伝票の起票はしていなかつたものの、二箇月に一回位の割合で相互の貸借を相殺する伝票が起票されていたことが窺われること(五七〇丁)等に鑑みると、本件の負債につきこれをすべて簿外処理にしていたということは到底理解し難いことであつて、これらの諸点に照らすと、右所論にそう被告人及び証人吉田義夫らの供述はそのままには措信し難く、被告会社に所論のような簿外負債が発生したものとは認め難い。しかし、かりに所論のような簿外負債が発生していたとしても、これを昭和四四年度の決算期に同年度の工事費及び建築費等として計上処理することは、正規の会計諸則に照らして到底許されるものではなく、かつ、このことを被告人も吉田義夫も十分承知しておりながら法人税ほ脱の目的で被告人が右吉田に無理に頼んで右のごとく計上させたものであることは、前記被告人の収税官吏に対する質問顛末書(七二六丁表)及び検察官に対する供述調書(七七九丁表)、証人吉田義夫の供述部分(三五七丁裏ないし三五八丁裏)等のほか被告人の検察官に対する昭和四六年九月二九日付供述調書(七八六丁表ないし七八七丁裏)を総合すると十分認めることができる。この点の所論も理由がない。

以上、原判決には何ら所論の事実誤認は存せず、原判決拳示の各証拠を総合すると原判示事実はすべて優に肯認することができ、また、本件犯行の動機、態様、ほ税額等記録上認められる諸般の情状に徴すると、原判決の各量刑が不当に重きに失するものとも考えられない。当審の事実論の結果によつても右結論は変わらず、論旨は、いずれも理由がない。

なお、原判決が本件証拠として挙示する奥山こと安原民子の収税官吏に対する質問顛末書(三通)及び検察官に対する供述調書並びに大石美弥の検察官に対する昭和四六年一〇月一日付供述調書の抄本は、いずれも原審第一六回公判期日において採用され取調べられているところ(五六四丁表)、右各書証は原審第二回公判期日においていずれも弁護人不同意のため撤回されたものであるが(二九丁表、裏、四八丁表、五五丁裏)、その後右各書証につきあらためて弁護人の同意のあつたことは原審公判調書には明確な記載を欠いているのである。そこで、念のため当審において再度弁護人の意見を聴きその同意を得てこれら書証を採用取調したのであるが、原審においてその取調がなされたことについては、原審、当審を通じて被告人、弁護人らから何ら異議の申立がなされた形跡はないこと、その他記録上認められる公判審理の経過に照らすと、右各書証は前記第一六回公判期日に弁護人において同意のうえ取調べられたのに、同期日の公判調書に同意のあつたことの記載を脱漏したものと推認することができる。

また、原判決書の「弁護人の主張についての判断」中、惣田秀夫に対する売上除外についての説示において「昭和四四年四月三日」とあるのは(原判決書一〇丁表末行及び同丁裏七行目)、「昭和四五年四月三日」の「……押第五四号…」とあるのは(同庁裏五ないし六行目)、「……押第四二号」の、同じく「証拠の標目」、中、「収税官吏作成の……期末たな卸高……」とあるのは(同三丁表ないし三行目)、「収税官吏作成の……期末建物たな卸高……」のそれぞれ明白な誤記と認められる。

よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 久安弘一 裁判官 大野孝英 裁判官 山田真也)

○控訴趣意書

昭和五一年(う)第七〇号

被告人 黒田興業株式会社

右代表取締役 黒田孝行

被告人 黒田孝行

右被告事件について、弁護人の控訴の趣意は左記の通りである。

昭和五一年七月一九日

右弁護人 板野尚志

広島高等裁判所岡山支部 御中

原判決は事実の誤認があり、その結果量刑重きに失する。

被告人黒田孝行は昭和四五年六月一日岡山税務署長に対し、昭和四四年度の所得金額は一、七五六、五九二円で、これに対する法人税額は三六八、〇〇〇円である旨の確定申告書を提出した。

しかし、右事業年度の所得は起訴状中公訴事実記載の通り三二、四二五、三二八円とはならず、これに対する法人税額も、一〇、九六九、一〇〇円とはならない。

被告人黒田孝行が被告人黒田興業株式会社(以下黒田興業という)の代表者としてなした所得申告のうち、本件で起訴されているものは、大略次のグループに分けられる。

法人税ほ脱を目的とするもの、このうち、不動産の仕入先、あるいは売渡先希望によつて、仕入先と売渡先が直接取引したことにし、黒田興業はこれ等取引による売買差益を取引銀行の要求により裏預金としたもの、(取引除外)一般に同族会社、または個人企業の内で行われていることであるが、役員または、その家族(多くは何等かの意味で企業に関与している)個人のための支出を、会社の経費(損金)として、支弁処理したもの。

法人税ほ脱の目的はないが、法津上、会計上の知識がないため、法人の取引としての会計処理をしなかつたもの、知識がないというより、全くの不注意で処理を怠つたもの。

申告時を基準にすれば、公表金額は妥当であり、法人税ほ脱の意図は全く考えられないもの。

以上のうち第一に属するものはすべて有罪であり、第二、第三に属するものは何れも、刑事責任を問われない

以下、原判決中弁護人の主張についての判断のらんに掲げられた前掲第一、第二グループに属するものについて検討を加える。

(1) 末長恒久に対する昭和四四年八月一一日付売上一八三万円のうち六〇、〇〇〇円を除外、第二グループに属する。法人税ほ脱を計つて、除外したものでなく、不注意による会計処理上の誤りである。

(2) 和気史郎に対する昭和四四年一二月二〇日付売上四、二〇〇、〇〇〇円、第二グループに属する。法人税ほ脱を計つて、除外したものではなく、不注意ないし無知に起因する会計処理上の誤りにすぎない。岡山市原尾島字山下の宅地一〇〇坪を大林建設こと林邦男が工事代二三五万円の代物弁済として、加藤輝久より譲受け、これを被告人黒田興業株式会社を介して和気史郎に代金四、二〇〇、〇〇〇円で売却したものである。そして林は右売却代金中先づ二三五万円の弁済を受け残り一八五万円を後藤三男に三〇万円、黒田興業株式会社に八五万円そして更に自己に七〇万円を夫々分配している(被告人の昭和四六年二月一九日付質問てん末書一ないし四の答)たゞ買主和気史郎との間の取引は黒田興業株式会社が売主の如き観を呈しているが、被告人は林よりの委託によつて自己の名儀で販売し、委託手数料として何がしかの金員を林よりもらう積りであつたにすぎない。もつとも、斯る場合、被告人の売上として、経理上処理するのが正しいのかもしれないが、被告人としてはあくまで売主は林であると考えていたので、自社の売上として記帳せず、申告にさいしてもこれを除外したのである。この結論は、被告人が葵建設株式会社より一、八五〇、〇〇〇円の架空の領収証を徴求していることによつて、左右されるものではない。右の領収証は手数料収入の隠蔽を計つて作つてもらつたものだからである。

(3) 惣田秀夫に対する昭和四五年三月三日付売上四、〇〇〇、〇〇〇円、第三グループに属する。赤磐郡山陽町高屋内三丈四三一番二、同所四四二番二、同所四四二番の各土地の登記簿謄本によつて明らかな如く、詐欺犯人栗政英一の兄栗政武男が被害者児子廉夫に対する弁償金の捻出のため、昭和四五年三月一六日被告人黒田興業に売渡したのであり、したがつて、惣田が被告人黒田興業より貰受けたのは三月三日ではなく、四月三日であると考えるのが正しい。昭和四四年度の申告に売上として計上すべきではない。

(4) 井上武よりの昭和四四年七月二九日付仕入五、〇〇〇、〇〇〇円第二グループに属する。法人税ほ脱の目的から計上された所請架空の経費ではない。全く、事務処理上のミスである。対応する仕入物件が存しないのであるから、容易に発見出来るミスであつて、被告人に法人税ほ脱の意図がないことは容易に推定出来るものと考える。ここで、一言しておきたいことは、被告人のこのようなミスから、同人の経理処理に対する態度、心構えを想像していたゞきたいということである。

(5) 期末棚卸高

第三グループに属する。公表金額と調査額との間には著しい差がみられる。(棚卸資産の明細については、被告人は全く不案内である。)棚卸の作業は本来仕入帳と売上帳を対照しつつ、個々の資産に当つて調査すべきものである。ところが、こうした作業は大崎公認会計士事務所の吉田義夫が担当し、被告人は全く無関係であつた。吉田より問合せ等があつたかもしれないが、資産(主として素地としての不動産)の性質上、満足の行く解答をするが困難であつた筈である。吉田義夫の供述(当法廷)によれば、棚卸にあたつて、現品チエツクしている様子もなく、単に仕入帳、売上帳、図面を資料としているにすぎない。したがつて、右棚卸が公正妥当なものでなかつたとしても、無理からぬところである。特に商品土地につき、区画整理が進行すれば、容易に棚卸が出来るが、素地のまゝの状態であると、数量(土地については面積)は公簿上の面積によることになり(仕入にあたつて、実測をしていないか、実測不能の土地の場合)甚だ合理性を欠く結果となる。このことは、吉田義夫が昭和四六年四月一六日頃国税局査察官大田正と共力して棚卸作業をした結果、と、更に、国税不服審判法による審査申立をするに際してなした同一の作業結果が夫々違つていること、によつて容易に推測出来る。被告人は棚卸の明細について全く不案内であつて、商品土地を棚卸資産より意図して除外したことは到底考えられないところである。

(6) 殖産住宅に対する計上分は第二グループに属する。これは、正しい会計処理であつたかどうか疑問であるが架空計上とはいえない。右の通り計上するに至つた経緯は次の通りである。昭和四一年三月頃、黒田孝行個人が殖産住宅相互株式会社と建物給付契約(殖産住宅はこのような名称を使用しているが、実体は注文書に対する融資を伴う、工事請負契約である)を締結し、同会社より建物の給付を受けることを約し、当該建物建築工事につき、元請殖産住宅の下請人たる人難波建設株式会社と被告人黒田興業株式会社が再下請の契約を締結した。こういう形をとつたが内実は右工事は当時すでに他の業者により完了していたのであるから、殖産住宅と黒田との給付契約の実体は単純な融資に関する契約にすぎなかつたわけである。そこで、工事金名儀の融資の流れを追つてみると、先づ殖産住宅より難波建設に支払はれ、難波建設より更に黒田興業に支払はれている。そして、右融資の返済義務者は黒田孝行個人であることは勿論である。してみると、昭和四一年当時の黒田興業の会計処理は黒田孝行よりの借り入れとして記帳されるべきものである。然るに、こうした事務処理を怠つて、数年間経過するうちに、黒田個人が殖産住宅に融資金の返済を完了したので同人としては被告人黒田興業より右返済額の返済をしてもらう必要が生じた。しかし、先に述べた通り黒田個人に対する借入の勘定科目は記されていず、すべて、簿外処理をしていたために、返済としての処理は不能と考え殖産住宅に対する工事金として計上することになつたのである。確かに工事費と称するのは正しくないと思うが、黒田興業が黒田個人に対し五、七六九、七五六円を出損するのは契約上の義務に属するところであつて、本件の如く工事費として計上したとしても法人税ほ脱の意図によるものではないのである。

殖産住宅に対する工事費二、八八四、八七七円は前項で設明した通りの支出であるから、ほ脱金額の計算上は架空工事費八、二三五、〇七七円より控除されるべきものである。

ところで、法人税ほ脱の犯意は申告所得額、税額と、正当な所得額、税額を比較した場合の増差額について、法人税を脱れるという概括的な認識では足りず、増差所得の形成原因である個々の勘定科目につきほ脱の認識を必要とする(東地刑一八部、三七、六、三〇判決、税務訴訟資料三四号九八頁)ものであり、また、かゝる犯意を欠くものについてはほ脱額計算上これを控除するのを相当とするところ、原審は前掲(1)ないし(6)にわたつて指摘した事実を誤認した結果、これ等をすべてほ脱額として計上し、その結果、不当に重い刑罰を科している。破毀して軽い刑に処せられるべきである。

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